派手な衝撃音が廊下に響き渡った。散乱したルーズリーフ、テキスト、ペンケース。
これだけやればとてつもなく注目を浴びるところだが幸い今は授業中で人通りは少ない。見られたら最悪だ。マンガのように駐輪場の屋根の柱に正面衝突したところなんて。
「転んでる場合じゃないっ」
見事にぶちまけた中身を鞄の中に放り込んで教室までダッシュ。教室に着くと中から教授の声が聞こえる。
「始まってるか……」
急いで呼吸を整え、後方のドアから入る。音を立てないようにドアノブをゆっくりと回して中に入り、そしてまたゆっくりとドアノブから手を離す。
教室を見渡し窓際に空席を見つけるといそいそと席に着く。
「おはよ。すごい汗じゃん、香月サン」
振り向いた先にいたのはあの二人。
「おはよ」
「おはよう。香月さん、寝坊?」苦笑いしている阿里。
「また佐伯クン?」机に肘をついてニヤニヤと話す杉本。
「うん、まぁそうなんだけど」口ごもる柚香。
「今度はどうしたの?」
「メールしてて終わったのが4時」
「4時?!俺だったら"眠い、寝る"って送って寝るけど」
「1限ある前の日に毎回それやってたら体もたないよ~」
「だから寝坊していつも電車のところを自転車にしたの」
「お疲れサマ」
やっぱり呆れられてる。
柚香は前に向き直してノートとテキストを出す。窓からは涼しい風が入ってくる。汗をかいている今にはちょうどいい。
教授の難解な話をメモしていたが途中からだとよく飲み込めない。
それから10分後。柚香は机に突っ伏して寝ていた。
「うわ、いくら窓際だからって堂々と1番前で」
「自業自得」
「でも、仕方ないと思うよ。佐伯くんの勢いに逆らえる人はいないんじゃないかな」
「うん、まぁアレだしね」
と杉本は再び窓から見下ろした。
*
講義が終わり、学生たちは次の時間の準備を始める。
小さい教室とはいえそこにいる学生が一斉に話し始めるとかなりうるさいのだが、そんな状況でも起きない柚香。
「香月サン、終わったよ」
社交辞令程度の声賭けをして席を立ち次の教室へ移動を始める杉本。
「杉本くん、それじゃ起きないと思うよ」
見兼ねた阿里が柚香を起こす。
「香月さん、終わったよ~」
何度か柚香の肩を叩くが起きない。
「確か次も僕たちと同じ授業取ってたよね。どうしよっか、杉本くん」
"別に子どもじゃないんだから放って置けばいいんじゃないの?"
そう言おうとした時、目の前を誰かが通り過ぎた。
「柚香さん、発見」
その人物は側にいた杉本と阿里に見向きもせず、真っ先に柚香の側へ歩いて行く。
その足音でガバッと起きる柚香。その様子に杉本と阿里が思わず吹き出した。
「おはよっ柚香さん」
彼は喜色満面の笑顔を柚香に向けるが彼女の顔は少し引きつっている。
「お、おはよ和也君」
「柚香さんに挨拶しないと1日が始まらないんだ」
にこにこと話す和也と呼ばれた人物。
「……和也くん、次移動だから行って良いかな」
と柚香は引きつった笑顔を浮かべながら机の上を片付け始める。
「うん、いってらっしゃい。また後でね」
笑顔を柚香に向けたままその場で手を振り見送る和也。それに続いて柚香の後を追いかける阿里、和也を横目にそれに続く杉本。
教室を出ていった柚香の背中から声が追いかけてきた。
「柚香さん、愛してるよ~~!!」
「あははははははははははっ」
移動途中の廊下で一際高い声が響く。
「杉本くん、笑い過ぎ。こっちは笑い事じゃないんだから」
先を歩いていた柚香が立ち止まりムスっとした表情を後方へ向ける。
お腹を抱え肩で息をしている杉本と悪いと思うのかその隣で笑いを堪えている阿里。
「だっておもしろいじゃん、彼」
「面白くないっ!」
「毎朝ラブコールで幸せだね。そりゃ浮かれて柱に激突するよね」
「あれすごかったね~。大丈夫?香月さん」
あの場に知ってる人はいなかったはず。
「な、なんのこと?」
この二人にそんなことは通用しないとわかっていながらしらばっくれてみる。
「あの教室の真下が自転車置き場なんだよ」と阿里。
「座ってる位置からちょうど香月サン見えた。派手だったね~」
杉本はそう言い残してスタスタと教室に入っていった。
「香月さ~ん」
呆然としている柚香の目の前で片手を振って阿里は自分の存在を知らせる。
「杉本くん口止めしとかないとその寝癖もみんなに広まっちゃうよ?」
と寝癖直しのスプレーを手渡し教室に入っていく。
やっぱりあの二人には敵わないのか……スプレーを手にしばし放心する柚香。
「やっぱり香月サンて飽きないわ」
「杉本くん、あまり笑っちゃダメだよ。あ、先生来た。あーあ香月さんまた遅刻だ」
*
昼休み。結局1、2限とも授業ノートが取れず机に伏せている柚香。
トイレで阿里から借りたスプレーをかけて10分ほどで寝癖は直ったのだが、考古学の教授は授業開始10分過ぎると学生を教室に入れない。
柚香は早々にお昼を食べ、パソコンに向かってはいるが画面を見つめたまま、動かない。
「かーづーきさん、香月さんってば。阿里さん、どうしたんですか、香月さん」
さっきから呼んでいるのに気付かない(むしろ聞こえていないのか)柚香に痺れを切らしてサークル連合役員の1人、櫻が阿里に事情を聞く。
「うん、ちょっとね」
阿里が苦笑しながら答える。
「ちょっと?」
「君たち後輩が香月サンの手伝いしないから疲れてるんだよ」
今まで全く会話に参加していなかった杉本が口を開く。
「あたしちゃんと仕事してますよ?杉本さんこそ、サークル連合いじめないでくださいよ~」
杉本は聞いているのかいないのか鞄の中をガサゴソと探りファイルの中から数枚ルーズリーフを取り出すと柚香の側へ歩いて行く。
「ヘコみ過ぎ。ノートだったらコピーさせてあげるから」
いつも通りの上から目線。
目の前に出されたルーズリーフに視界を遮られ、我に返る柚香。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。仕事も頑張ってね~、俺が困るから」
平淡なトーンでそう返すと自分のデスクに戻る。
ノートを貸してくれたことにも驚いたがベラベラと櫻に話すと思っていた杉本が黙っていてくれたことにもっと驚いた。……こういうところは気が利く。あの言い方はちょっとムカつくけど。