嘘のつくりかた

09.繋がる迷路

 会社に着くと隣の席は空だった。風邪で休みらしい。うわさ話好きの涼が教えてくれた。
 空いている空間を視界の端に入れながらホッとしたような、物足りないような変な気分を抱えたまま仕事をしていた。隣からのプレッシャーがないならないで調子が狂う。
 それさえも日常になっていた。

 ホワイトボードの佐伯さんの名前の横には『10:00〜直帰』の文字。
 思い切り首を左右に振る。  気晴らしに外出だなんて、しかも佐伯さんをダシに使うなんて失礼にも程がある。
 椅子から立ち上がり手を組み両腕を上げ、グーッと伸びる体を伸ばすと少し気持ちが楽になった気がした。
 座ろうと屈んだ場所に椅子はなかった。瞬時に備えるほど反射機能がなかった為、思い切り尻餅をついた。
 幸い腰を打たずに済んだが、何の迷いもなく後ろに体を預けたものだからお尻へのダメージは相当なものだった。
 言葉にならない声が漏れる。

「日向、大丈夫?」

 すぐに駆け寄ってくれた涼は声で心配しながらも顔から笑いが消えていない。
 痛みのショックと昨日に引き続く自分の情けなさで大声で怒る気力が湧いてこない。顔だけでも不機嫌を表すとごめんごめんと涼が手を差し出してくれた。
 その手を支えにして足に力を入れると同時に打ったところがズキッと痛む。バランスを崩して再度後ろに倒れそうになったところに涼が椅子を前へ引いてくれた。痛みの消えないお尻をさすりながら椅子に座り直すと涼が一言。

「日向、勢い良く立ち上がるから椅子が後ろに下がっちゃったのよ」


 普段通りに歩くとお尻が痛むので少し足を引きずり気味にトイレまで向かう。

「どんな顔してるかなって見てから出ようと思ってたんだけど、沈んだ顔してる」
「まだ出られてなかったんですね、佐伯さん」

 昨日の雨で風邪引いてないみたいで良かったよと続けた彼の顔は下を向いていて肩は小刻みに震えていた。

「……さっきの見てましたね」
「ごめん、あまりにも盛大過ぎて」

 さっきの私の醜態っぷりを思い出したのだろう、佐伯さんが堪えきれず笑い出した。その笑い声は廊下中に響き、通り過ぎる人皆こちらをチラチラ気にしながら私達を遠巻きにして歩いていく。
 その原因が私にあると思われないように努めて平静を装ったが無駄な努力だった。
 ようやく笑い済んだ佐伯さんは一度大きく深呼吸をした。

「あー久々に大声で笑った」
「佐伯さんには面白いことでも私には災難なんです」

 ――お尻に痣あざができてそ。小さくぼやいた声は佐伯さんにも届いてしまった。彼はもう一度プッと勢い良く吹き出した。
 眉間にしわを寄せた私に佐伯さんがある提案をした。

「俺、今日直帰だから早く終わるよ。笑ったお詫びにごはんでもどう?」

 あまりにも自然で突然だったので断る返事が見つからなかった。


 仕事が終わってから駅で待ち合わせをしてお店に向かう。
 佐伯さんとご飯に行くのは初めてのことではないけれど、改めて二人だけで行くのはまるでデートのようで少し照れた。
 仕事の話をしていたらストレスもあいまってお酒が進む。佐伯さんとの共通の話題といえばそれくらいしかないのだ。あと1つを除いて。

「ねぇ、なんで昨日泣いてたか聞いてもいい?」

 机に頬杖をつきながら私を真っ直ぐ見つめて佐伯さんはそう言った。
 彼は先程からグラスビールを3杯空けていた。接待慣れしている普段の彼からするとまだ酔う量ではない。

「愚痴の相手になるっていったでしょ」

 首を左右に振った。佐伯さんの眉が少し上がる。

「私にもわからないんです」
「人に話してみると心の中整理できてわかるかもよ」

 彼を知っている誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
 私は昨日あったことをぽつぽつと話し始めた。佐伯さんは黙って聞いていた。たまに静かに頷きながら、軽く腕組みをして。
 ここが居酒屋で助かった。様々な音が入り混じるこの中なら喧騒けんそうに紛まぎれてあのオフィスよりも話しやすかったから。
 全て話し終えたところで佐伯さんが口を開く。

「成瀬はどう思ってるの、にいのこと」

 私は思わず唇を噛んだ。

「ごめん、聞き方が悪かった。あいつのことどう見える?」
「……いつも自信たっぷりでそれを隠さないでいられるのが羨ましい反面、ちょっとムカつきます」
「うん」
「嘘もつくけど、たまにまともなことを言うからかえって言葉に説得力があるんです」
「童話の中で悪いやつがいいことするといい人に見える心理?」
「というよりは、私には当たり前のことばかり言う方が信じられないから」

「見えるものだけが当たり前で真実ではないよ」

 そうなのだろうか。

「遠慮してたけど、やめた」

 何を? と聞き返す前に佐伯さんが続けた。

「俺が事前の約束もなしに、なんで取引先に成瀬を一緒に連れて行くか考えたことある?」

 そう、重大な事案以外の外出は図ったかのようにいつも突然だった。

「成瀬がにいと話してるのを見たくなかったからだよ」

 ほらやっぱり佐伯さんは酔っている。
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