嘘のつくりかた

08.じんわりと沁みた

「幼馴染って言っても知ってるのは中学からで、仲良くなったのは高校からかな。ほら、あの性格じゃん? 俺どうしてもあいつのことが気に入らなくて関わりたくなかった」
「わかります、私も最初苦手でした」

 成瀬も?と佐伯さんが少し笑って、コーヒーを一口飲んで少し伏し目がちに話を続けた。

「俺、少し体の弱い妹がいてさ。不治の病ってわけじゃないんだけど、俺自身何の病気もしたことがなかったからあいつが辛そうにしてるのを見ていられなかった。その反動で妹の頼みは何でも聞いてやってた。自分でできるだろうってことでも、妹に頼まれるとどうしても断れなくて」

 そこで佐伯さんは口を閉じ、マグカップを両手で包み込んでコーヒーを覗き込んでいた。
 しばらくしてまた話し始める。

「俺高校で生徒会やってて、にいはその年の体育祭実行委員だった。ある時、放課後にやる準備にどうしても参加できなくて断ったんだ。例のごとく妹に早く帰ってきてと頼まれていたからね。それ以外のことなら手伝うと言ったら他のメンバーは渋々ながらも了承してくれた」

 佐伯さんは持っているマグカップの中身をゆっくり回しながらそこまで話し、短く息を吐く。

「でも一人だけ反対した奴がいてね。そう、にい。俺つい怒鳴っちゃってさ。周りがざわざわし始めてからやっと自分のしたことに気付いた。そのまま、にいに腕引っ掴まえられて教室出てた」

 思わず声が出た私に佐伯さんが渋い顔をして

「俺も殴られるかと思ったよ」

 あいつ短気そうだしねと佐伯さんと言った。

「人気のないところまで来てやっとにいが手を離した。そこでにいに言われたんだ」

――率先して生徒の前に立って動くはずの生徒会だろ、余程の理由がない限り生徒会長がやらないのはずるいんじゃないの?

「頑がんとして俺の言うこと聞かないんだよ。妹のことは先生以外に伝えてないし周りにはあまり知られたくなかった。けど妹との約束もあるし、仕方なくにいに理由を話した。そしたらあいつなんて言ったと思う?」

 ――甘えてんじゃねーよ
 なんとなく、新倉が言いそうなことだと思った。

「にい曰く、体が弱いことに甘えて自分で何もしようとしない妹も、その妹のせいにして自分のことをおざなりにしている俺もどっちも甘えてるんだってさ」

 信じられないと言いつつも笑みを口に浮かべ彼が首を振る。仕方ないなといった風に。

「すげーよな。普通、家庭の事情入ると一歩引いて遠慮するものじゃん? まぁ、誰もいない場所まで引っ張ってったのはあいつの優しさなんだろうけど。俺はそれまで妹の頼みを聞いてやることが俺にできる唯一の優しさだと思ってた。今はもう頻繁に妹のわがままを聞いてやることもなくなったし、妹も自分でできることはするようになった。体はまだ弱いままだけどね」

 話の内容からすると良い印象はないのに、佐伯さんは苦笑いを交えつつも嫌な顔をしていなかった。
 けれども正反対の二人が何故あんな風に付き合えるのかを聞こうとして、思い掛けず妹さんの話を聞いてしまったことに私はバツの悪い思いがくすぶっていた。

「後になってあの時の話をにいにしたら“お前の顔があまりにも不幸そうでうっとうしかったの”だってさ」

 佐伯さんはすっかり冷め切ってしまっているコーヒーを一気に飲み干し、マグカップを机にコトンと置いた。私はその様子をただ眺めていた。彼に名前を呼ばれて気付くまで。

「成瀬。にいはかなり言葉悪いけど、鈍感なやつじゃないよ。成瀬も知ってると思うけどさ」

 そう言ってウインクをして様になるのはきっと佐伯さんくらいだ。

「成瀬が泣くくらいひどいことをにいはしたんだろうし、俺もそれは許せない。でもさ、あいつを嫌いにならないでやって」

 色んな気持ちが胸の中でぐるぐるして、素直に頷くことがすぐにできなかった。


「本当にすみません、ありがとうございました」
「なんか、俺成瀬のこういう場面に立ち会うこと多過ぎない?」
「ほんと、嫌なセンサーつけないでください」

 会社の前でフフッと佐伯さんが笑った。

「妹のことは気にしなくていいよ。成瀬、気にしてたでしょ?」

 バレてた。
 雨はもうすっかり上がっていた。地面のところどころに少しだけ溜まった水溜りに電灯の光が反射してぼんやり明るい。

「成瀬そこ!」

 踏み出した先にはまだ地面がなくて、ああもう一段、階段あったんだと気付いた時には既に遅く、体はバランスを失い前に倒れていった。すぐにすごい力で後ろに引っ張られ、その反動で佐伯さんの胸に鼻を打った。

「あっぶねー……お願いだから前見て歩いて……」

 私を受け止めた彼の腕に力がこもる。

「びっ、くりした……」
「びっくりしたのはこっちだから。大丈夫? 怪我してない?」

 佐伯さんの声が直接頭に響いて聞こえてきた。同時に彼の鼓動が早いことに気付く。

「大丈夫です……すみません」

 佐伯さんの腕にもう一度ギュッと力が入った。
 その後、赤ちゃんをあやすようにゆっくり私の背中を叩いてようやくその腕を解いてくれた。正直、階段から落ちたことよりもいつもと様子の違う彼に戸惑った。

「これからは愚痴の相手の一人に俺も入れといてよ」

 そう言う佐伯さんの笑顔がじんわりと心に沁しみた。
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