嘘のつくりかた

01.A4サイズの小宇宙

 とても甘い言葉を言ったつもりなのに、腕の中の彼女はとても不満そうなため息をついた。

*


「あれ、成瀬さん。まだやってんの?」

 そう言ってさっさと自席のパソコンの電源を落とし、鞄を手にしている男。
 こうなっているのは誰のせいだ、誰の。
 
 今より1時間前。
 仕事が一段落して私はぐーっと背伸びをした。ちらりと視線を移すと隣はまだ仕事に取り掛かっている。
 やった、今日はこいつより早く帰れる!
 仕事に追われている私を尻目に隣の同期はいつも悠々と帰宅していた。それが仕事ができないと言われているようで腹が立つ。思い違いではなく、実際そんなことを言われたこともある。そうなるとこちらもどんどん意地になる。
 今日は部長に頼まれていた資料がやっと完成し、最終チェックが終われば帰れるはずだった。
 
「俺がチェックしてやるよ」

 私がOKを出す間もなくその資料はあっという間に私の手を離れた。
 新倉は視線を資料に移したまま自分の席に座り直し足を組んだ。後ろを見ずに座るものだから、コートにくしゃっとシワがよった。
 彼は何でも器用にこなす。本人は努力しているように見えないところが更に気に入らない。
 そんなところに加えて整ったルックスを持っているものだから、言うまでもなく彼を慕う女子社員は少なくない。
 何の因果かその彼とは同期入社で隣の席。
 
「んー……ここはこういうよりも……いやこっちのがいっか」

 私の思惑など彼に届くはずもなく、私から半ば強引に奪った書類の束を眺めながらブツブツとつぶやき始めた。こうなるともう彼には何の音も入ってこない。取り返すのは早々に諦めた。
 定時を過ぎているというのに付き合ってくれる彼には感謝して、隣から時折漏れてくるその呟きをBGMに他の仕事をすることにする。それからしばらくして。
 
「はい。アナタのも悪くはないけどね」

 目の前に差し出された書類にはたくさんの付箋ふせんが付いていた。毎度ご丁寧にコメントつきで。振り向くと彼は既に自分の仕事に戻っていた。
 私は軽くため息をつき、もう一度資料を読み直す。
 付箋がついているところは私が何か足りないと思いながらもそのままでも問題ないとおいていたところだった。いつもながらエスパーかと思う。でも付箋でダメ出しをするところには少し好感を持っていた。もう一度プリントアウトし直せばすむのに、直接書き込まないのは彼の私の仕事に対する敬意だと最近は思えるようになった。
 指摘とは言っても、“ここ、意味わかんない”とか“これだけ?”とか“この部分気になるんだけど”といったぼんやりしたものだ。それをやられた当初は“自分のことを鼻にかけてバカにしてるの?”と思ったものだ。
 けれど指摘された箇所は的を射ていたし、やり直すと必ず上司に即OKをもらっていた。だからそういう時あまり強く出られないし、正直助かっている。私のことを認めてくれているうえでの指摘だと思う。それ以外は応戦するけど。
 指摘された付箋の箇所を次々と修正し、あとは最後の付箋だけというところでパソコンの画面とを交互ににらめっこをしていると横からひょい、と画面を覗きこまれた。

「なんだ、もうちょっとじゃん。頑張れ〜」

 とても応援しているように聞こえない、抑揚のない声援を私に投げる新倉。

「全然応援してない。それに自分だって助けられたことあるくせに」

 こそっとぼやいたつもりが彼には聞こえていたようで。

「なぁに?」

 間延びした言葉なのにそれとは反対の感情が含まれているのがわかる。

「言いたいことはこの新倉さんに聞こえるように言ってもらえませんかねぇ?」
「……私だって新倉のこと助けたことあるでしょ」
「んー? あー、そんなことあったっけ?」
「何度もあります」
「だって俺忘れちゃうもん、やなことは」

 俺ってプライド高いのよー?と言いながら右手をひらひらさせ新倉はオフィスを後にした。
 “アナタならもうちょっと頑張れんでしょ?”1番最初の付箋にはあいつらしい励ましの言葉が書いてあった。


 その後更に悩んで作成した資料は翌日の朝に提出した。
 悔しいことに部長に褒められた。特にあの付箋がついていた部分だ。
 席に戻ると新倉が左手の甲に肘をつきニヤニヤしながら待ち構えていた。

「良かったね、俺のおかげで部長に褒められて」

 ”あの後頑張ったんだね”とか”やればできるじゃん”とか言ってくれたら少しはときめくのに、どうしてこうも腹の立つ言葉をチョイスするのだろう、こいつ。天才だわ。お陰でまたお礼を言うタイミングを逃した。
 新倉の言葉を無視して黙々と仕事に専念する。リアクションがないことがわかると飽きたのか新倉はそれ以後話し掛けては来なかった。

「あー外でお昼食べられるなんて久しぶり〜」
「そんな大声で話さないでよ、日向ひなた。そばにいるこっちが恥ずかしい」

 いつもごはんを一緒にしている涼すずに少々煙たがられながらも私はご機嫌だった。無理もない、ここ数週間買ってきたお昼を片手に自分のデスクのパソコンに向かうのが常だったのだから嬉しくてウキウキして足取りも軽くなる。涼の不満は聞こえなかったことにする。

「あーいたいた、成瀬!」

 爽やかな笑みを浮かべて私に向かってくる人物は、社内で営業部のエースと囁かれている佐伯さん。あの笑顔と人当たりの良い性格は営業にとても向いている。でも今の私は彼に会いたくない。

「高梨、俺ちょっと成瀬借りたいんだけどいい?」
「あ、どーぞどーぞのしつけて佐伯さんにお渡ししますよ」
「ありがと」

 佐伯さんの姿が見えたと同時にその場から逃げた。つもりが涼に上着の裾すそを掴まれて前に進めなかった。

「すーずー」

 怨みを込めた視線を涼に送ったのに気にも留めず、彼女は佐伯さんに頼まれたことを着々と進めた。
 涼は私を佐伯さんに押し出しながら小声で“頑張れ”と言い残し、佐伯さんに一礼。佐伯さんも更にニッコリと笑みを返す。

「……私これからお昼なんですけど」

 一人でランチへ向かった冷たい友人の後ろ姿を見送りながら隣の爽やか笑顔に意味のない反論を唱えてみた。爽やか笑顔はそれとは裏腹な言葉を言い放った。

「これから出掛けるからその途中でね」

 外での食事には違いない。

「あれー? 青せいちゃーん、これから出先?」

 背後から聞こえてきたのは間の抜けたキーの高い声。毎日聞いている声だ、振り向かなくてもわかる。

「にい、いくら友達でも会社では先輩と呼びなさいね」
「おたくだってあだ名で呼ぶでしょ。何、成瀬さんも一緒?」
「まぁいいけどさ。そ、このまま直帰するからよろしく」
「こいつが使えるかは知らないけどま、面倒見てやってよ」
「大丈夫、成瀬は優秀だからこっちが面倒見てもらってるくらい」
「へーそなの? 意外」

 クククッと喉の奥で笑う新倉。

「新倉お昼行く途中だったんじゃないの?」

 さっきの会話で知った、こいつの中の私の立ち位置に少し苛つきながらも彼を早くこの場から遠ざけようと試みた。

「別に急いでないし大丈夫」

 脆くもあっさりと崩される目論見もくろみ。新倉はちらっと振り向いて返事をした後、青ちゃん今日はどこいくの?なんて女子よろしく、佐伯さんと井戸端会議を再開した。佐伯さんは新倉との話の最中もチラチラと私を気にしてくれていたが新倉はそんなことはお構いなし。絶対わかってやっているに違いない、新倉。
 少しして話が一段落すると、成瀬も準備あるだろうから下で待ってるよと佐伯さんはさっさと歩いて行ってしまった。

「大変ね、アナタも」

 と新倉は口元に手を当て喉の奥で笑う。

「佐伯さんと幼馴染だなんてほんと、意外」
「なんで? 俺たちどっちもイケメンでデキる男で気が合ってるでしょ?」

 どうやらこいつには嫌味というものは通用しないらしい。そのポジティブさ、私にも分けて欲しい。

「じゃあそのあなたの幼馴染どうにかしてよ、いつも外出が急でこっちは困る」
「俺も困ってんだよねー?」

 全然困っていない新倉の顔を見て、思わず作ってしまったへの字口。
 それを見た新倉がまたクククッと笑うので私の口は更に曲がる。
 “まぁ頑張って”と新倉はやる気のない言葉を投げるだけ投げて昼休憩に出て行った。
 今日も昼食という名の単なるカロリー摂取。重い足を引きずりながら佐伯さんの後を追った。
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