×××1周年記念交換小説企画
written by 結城聖耶 さま
からからと、押して歩く自転車は軽快な音を立てる。ハンドルに引っ掛けたコンビニのビニール袋が前後に揺れて、中に入っているプリンが片寄るんじゃないかと心配された。

  青空散歩

「今日は、早い予定だった?」
「ううん。たまたま、早く終わったの」
 理緒の言葉に頷き、僕は歩く速度を変えないままに自転車を押す。休日の午後、春を通り過ぎた夕方の気配はまだ訪れない。
 一人で昼食も済ませ、そろそろおやつが欲しくなった頃。理緒から、これから帰ると連絡が入ったのはそんな時間だった。いつも通りに僕は自転車を出し、携帯と財布だけ持って彼女を駅まで迎えに行く。そして駅から家まで、ゆっくり歩いて十五分。待ち合わせた理緒と二人、駅前のコンビニでおやつを買ってから帰る。
 二人乗りをしたことはない。最初に聞いたとき、理緒は笑って答えた。並んで歩いて帰るほうが、時間はかかるけれど話が出来るから、と。
「あ、野球」
「逆転してら」
「比奈君が来るときもしてた?」
「うん。さっきは青いほうが負けてた」
 広い公園で走り回る子供たちに、理緒が小さく微笑みを向ける。足を止め、僕は点数の書かれた黒板を指差した。駅に向かうときとは点差が反対になっている。
 小高くなった道の上から、理緒と並んで少年たちの様子をしばらく眺める。反対側にある川からは涼しい風が吹いてきた。
 僕と会う前は結んでいたのか、少しだけ跡のついた理緒の髪がさらりと揺れる。片手で自転車を支え、あいた左手を伸ばして指通りのいい髪を梳いた。目を瞬かせて理緒が振り向く。
「ん?」
「ううん」
 あいまいな答えを返し、繰り返し髪を撫でる。理緒は黙ってされるがままになっていた。
「人の心にも、ああやって点数がついたら面白いね」
「良い悪いで?」
「まさか。相手をどれくらい好きか、で」
 冗談と軽口の、中間くらいの口調。いたずらっぽい目が僕を見る。理緒が僕を。僕が理緒を。どのくらい好きか。
 点数の基準は一体、誰が決めるのだろうと思った。
「自分の気持ちが逆転されちゃったり、したりするのが解っちゃったら、怖いな」
「ごまかせないから?」
「いや。ずっと自分が勝ち続けるのは、切ないから」
 人の心に、想いに絶対なんてないから。みんな自分なりの基準で誰かを想っているのに、大事に想っているのに、自分のほうが好きだったり自分の思いが足りなかったり。
 そんな動きが目に見えてしまったら、きっと僕たちは変化を恐れて人を想えなくなってしまうから。
 そんな切ないことはない。
「比奈君は、自分が勝ちっぱなしだったら好きを減らしちゃう?」
「どうだろう。理緒は?」
「うーん。相手の人に逆転してもらえるように頑張ってみる、かな?」
 そうやってもっとずっと大きくしていけたら、楽しいよね。そう言って理緒は笑った。
 それはきっと、お互いがとても相手を想っていないと出来なくて、とても難しいことなんじゃないかと僕は思う。
 自分の方が想っているなら、もっと想ってもらえるように。自分の方が足りていないなら、もっと想えるように。二人で努力して辿り着いた最終回は、延長の引き分けなんだろうか。
 でも迷いながらもそう言える、理緒の素直さはいつもとても眩しくて強い。
「お前のそういうとこ、好きだよ」
「比奈君って、ひねくれてるようで言うことは直球だよね。で、その後で照れるの」
 考えなしに口にしてしまった言葉に対して屈託ない笑顔で図星を突かれ、余計に気恥ずかしくて目を逸らし空を仰いだ。雲の少ない綺麗な青空。いい天気だと思った瞬間、頬に冷たさを感じる。
 何事かと、自分の頬を指でなでる。隣で理緒が空を見上げて呟いた。
「狐の嫁入り」
「ああ、天気雨か」
 不快さを感じさせない程度に、日の照る中で雨は降り注ぐ。理緒ごしに見えるグラウンドでは、慌てている親と全く気にせず試合に夢中な子どもたちとの対比がおかしかった。
 理緒は嫌がる素振りも見せず、むしろ心地良さそうに目を細めて手のひらで雨を受け止めている。
 本降りになることはないだろうと思いながら、僕は理緒を促してゆっくりと歩き出した。
「天泣……天が泣く、っても書くらしいぞ」
 数歩進んで、何気なく思い出した単語を口にすると、理緒が空に向けていた視線を僕に移した。
「天気雨のこと?」
「そう。何かで読んだ」
「狐がお嫁に行くと、空も悲しいのかな」
「何だそりゃ」
 真面目な顔をして、両方を混ぜた解釈を披露する。僕は笑って理緒の髪にまとわりつく細かな水滴を払った。
 お返しのように理緒の手のひらも僕の頭を撫でる。微かに湿った指先が、優しく頬に落ちてきた一粒をすくった。僕を見ていた瞳が不意に笑みを浮かべる。
「何?」
「解ったの。悲しいんじゃないね。嬉しいんだよ」
「狐が嫁に行くのが?」
「そう。良かったね、幸せになるんだよって、きっと」
 そんなことを言って、本当に嬉しそうに笑うから。僕はつい、皮肉っぽい口調になってしまう。
「理緒の発想は五月三十五日だな」
「五月は、三十一日までじゃない?」
「違うって。海外の小説だよ。何が起きてもおかしくない日、ってことなんだってさ」
 何が起きてもおかしくない日。何が起きてもおかしくない発想。ちょっと強引なこじつけだったかもしれない。
 僕と同じように思ったのか、理緒も不満げな視線を向けてきた。とりあえず笑ってごまかすことにする。
 ただなんと言うか、あながち的外れでもないと思うのだ。普通それは繋がらないだろう、というような発想が、理緒の口からはぽんぽんと出てくる。言ってしまえば僕には到底、理解できない思考回路ではあるけれど、それがまた面白い。
 だって狐の嫁入りを空が嬉しがって泣くなんて、猫と天使の恋物語くらい、現実味がない。
 考えてから、どこかで聞いた話だなと僕は首をひねった。思い出せない。
「比奈君は」
「あのさ理緒」
 同時に二人の声が重なった。顔を見合わせ、どうぞと促すと理緒は首をかしげる。
「五月三十五日が来たらどうする?」
「何だ、同じことか。……理緒と一日じゅう家にいる」
「それ、お休みの日と変わらないよ」
 だって何が起きてもおかしくないのだ。それならもしかしたらほら、イロイロと夢が叶ったりしちゃったりするかも知れないし?
 などと男にしかきっと解らないロマンに心をはせてしまったことなど間違っても口には出さず、そ知らぬ顔で理緒に質問を返す。
「理緒は」
「うーん、でも私も比奈君と一緒にいたいかなぁ」
「何を期待して?」
 ついうっかり思わず、聞いてしまった。理緒の返答はとても可愛らしい無邪気な笑顔で、たいそうキッツイお言葉だった。
「秘密。でも比奈君が考えてるようなことじゃないよ。絶対」
 しばし、無言。
「俺の考えてることなんて」
「言葉で表現しちゃいけない顔してた」
 どんなだ。
 ただまあ、考えたことがやましいのは確かなので大人しく口をつぐんだ。理緒がにこにこして僕を覗き込む。
「比奈君って、嘘つけないね」
「悪かったな。解りやすくて」
「いいことじゃない。多分」
 多分が引っかからないでもなかったが、これ以上ツッ込んでも勝てないような気がしたので撤回を求めるのは諦めた。ニヤケ顔をさらしてしまった時点で僕のほうが分が悪い。
 何が起きてもおかしくない日、に起きるのは、いったいどんなことだろう。僕の考えた馬鹿なことは置いておいて、理緒は何を望んで僕と一緒にいると言ったのだろう。女の子の考えは難しい。
「あ、比奈君。お買い物して帰ろ」
「晩飯か」
「うん。手のおっきい人がいると助かるね」
 買い物の荷物持ちに必要なのは、力ではなくて手の大きさなのだろうか。首をかしげていると理緒が僕の手を見つめて呟いた。
「指、長いよね」
「そうか?」
「比べっこ」
 理緒の手のひらが差し出される。ほっそりしたそれに自分の手を重ねた。僕の手に隠されて理緒の手のひらが見えなくなる。第一関節の辺りで途切れる柔らかな感触。節の目立つ骨ばった手の甲など、見ていても何も面白くない。指先をずらして強くならない程度に理緒の手を握った。
 少し驚いた表情が微笑みに変わる。細い指がそっと握り返してきて、手の甲に温かさが伝わった。
 手を繋いだままでハンドルに左手を戻す。理緒と僕の距離が縮まった。
「ご飯、何がいい?」
 ずいぶんと近くなった位置で理緒に見つめられ、また空を見上げる。いつの間にか天気雨はやんでいた。気づいていない様子の理緒に教えたら、結婚式が終ったんだね、とでも言うだろうか。
「ロールキャベツとハンバーグ」
「その組み合わせはおかしくないかな」
「じゃ、ロールキャベツとポトフ」
 第一希望にダメ出しをされたので第二希望に切り替える。理緒が苦笑した。
「それもどうなのかと思うけど……」
「ならロールトフ。ロールキャベツがポトフに入ってる優れもの」
「比奈君も十分、すごい発想すると思うの」
 呆れ顔と苦笑と純粋に面白がっている笑いが入れ替わりに理緒の顔に浮び、仕方ないと言わんばかりに頷いた。今夜のおかずは何が出てくるのか楽しみだ。
 コンビニのプリンにはもうしばらくお付き合いしてもらうことにして、理緒と手を繋ぎスーパーへ向けて自転車を押す。歩きにくくてときどき肩がぶつかった。そのたびに理緒は小さく謝ったり、楽しそうに笑ったり、表情を変えて僕を見る。
 人が誰かを想うのは、特別な時じゃなくて。こんな風に、何でもないささいな瞬間なのかもしれない。そんな考えがふと浮んだ。
 空気が。世界が。柔らかく優しく甘く、暖かな色で満たされているような。そんな、綺麗な錯覚。
 馬鹿みたいに胸が詰まる。
「理緒」
 足を止めて、僕を見上げた理緒がきょとんとして何事かと問いかける前に。
 そっとふさいだ言葉は音にならず、理緒は恥ずかしそうに目を伏せると僕の肩に頬を当てた。
 このまま時が止まればいいなんて思わないし、僕と理緒の想いがいつまでも絶対だなんて盲目に信じることはしないけれど。
 お互いを追いかけて積み上げた点数が、終わりのないままに延長で続いていけるように努力したいとは、心の底から思った。
 逆転につぐ逆転なんて、気が気じゃなくてとても楽しいだろうから。
 







 

結城聖耶さんに頂きました小説です。
 私の小説は聖耶さんのサイトにUPして頂いております〜☆

 キーワードは「自転車」、「逆転」、「買い物」、「狐の嫁入り」、「5月35日」、「手」。
 聖耶さんへのお題は「ストレートな人間」。

 同じキーワードなのに書き手が変わるとこんなにも違うのか!と楽しんでやらせて頂いた企画です。
 本当は聖耶さんのサイトのお祝いにこちらから小説を送るのみだったのですが、聖耶さんから思わぬお誘い。
 誰が断るというのですかっ。
 こういった、和むのだけどラブラブというお話が書けるのはすごいと思うのです。
 特に、夕ご飯の話をしているくだりがとても大好きなのです。
 それに彼、ストレートなくせに照れるなんてもうかわいいじゃないですか(笑)
 聖耶さん、ありがとうございます!

 ほんわかな雰囲気が素敵な結城聖耶さんのサイトはこちら→猫は天使に恋をする。
 

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